弾丸ツーリング (5月2日夜〜5月6日)
 本来なら3日の早朝に出発予定でしたが、夜更かしするか早起きするかの違いの為
夜更かしの方が楽ということで 出発を急遽変更。
PM9時に店を出発!
 
何故か?日頃の行いが良いのか?
雨も小降りになりホット一息(^'^)
 
予定は四国一周・・・・・・。
予定はコロコロ変わるもので・・・・。
 
九州宮崎に行こうと・・・・。
 
ならば、国道九四フェリーに乗ろうと賛成多数。と、言っても三人しか来てませんが。
 
四国の佐田岬半島三崎フェリー乗り場までの500キロの旅が始まりました。
 
無事にフェリー乗り場に到着(^'^)
松山道大洲ICまではほぼ順調に来れましたが、
佐田岬半島の国道197号線に突入した時から超濃霧に見舞われ
ソロ〜リ、ソロ〜リの運転を余儀なくされて臨時便の4時30分発に間に合わなかった。
 
臨時便の5時30分発に乗る事となりました。
 
乗り場に着いた途端に大粒の雨が降り出し間一髪セーフ。
 
しかし、乗り場はかなりの車が来ていました。(臨時便が有るのをよく御存じで)
バイクも4台先着があり我々の3台で計7台。
九四フェリーのバイクの積載は8台です。
後二台来たら一台は・・・・ハミゴ。
最終的に一台しか来ませんでしたから計八台でした。
 
70分間拘束されるFJR君。   
係員が丁寧に拘束し始めました。     
手慣れたもので、手際よく固定。
 
フェリーに乗った途端睡魔が・・・・。
九州大分佐賀関港の到着案内まで全く記憶が。。。。。
 
あさやん曰く、爆睡していたとか(ー_ー)!!
 
本州を爆走して大分に来るのと、このフェリーを利用するのとでは
月とスッッポン。
 
70分間の休憩が出来るのは体力的に楽になる。
ガソリン代、高速料金、事故率を考えると利用するには最高の乗り物。
 
さぁ〜、本格的に気ままなツーリングの始まり始まりぃ〜。
 
突然ですが、宮崎の従妹の店に到着!
大分から宮崎までひたすら国道10号線を南下。
 
ただ走るだけ!
 
大分から宮崎は近いようで遠い!
JRでも3時間はかかる。
 
国道10号線をひたすら南下。
止まりとそれだけ到着が遅くなる。
 
したがって、道中の写真は有りません。。。。。
 
ここまで、順調に来ましたが、それでも6時間弱かかりました。
 
経営する木工房「トンテンカン」。
ここで木工をするのはお客さん。
お客さんが欲しがっている家具やおもちゃなどを形にする為の、
キット作りと作業を手助けをしている従妹。
 
全国放送の『人生の楽園』で紹介されたお店です。
確か、声は、西田敏行だったかな?
1枚だけでも身内の集合写真を・・・・と。
で、1枚だけ撮って頂きました。
身内との話しもそこそこで。
今夜の宿泊ホテルの手配。
ところが・・・・・。
 
無い!無い!無い!
何処のホテルも満室、満室。
 
九州あちらこちらでイベント、高校総連の大会が有るみたいで〜。
 
電話確認するたびに、「おあいにくですが本日は満室を頂いております、申し訳ございません。。。」
 
どこのホテルも同じ言葉。
さぁ〜困りましたわ。

で、たどり着いたホテルが
都城駅前の『ホテルアルファー1都城』でした。
 
ちなみにバイクカバーかかっているバイクはハーレーですが
驚いたことに滋賀県甲南からのツーリング1人旅の方でした。
 
お互いに左右に泣き別れしました。
 
ホテルから見た駅構内です。
 
表で見ているより待避線など沢山あり広いです。
写真には写っていませんが、手前にはおそらく機関車車庫だったような広場が。
今は、小屋が立っていました。
 
そりゃそうだろう、ひと昔前はブルートレインが都城まで足を延ばしていた時代がありましたからね。
時代の流れで利用客が減り、行先が南宮崎になり大分になり挙句には無くなりましたから。
 
待避線は草が生え寂しい思いがします。
ここに14系15型に24系25型のブルートレインが精悍に並ぶことはおそらく永遠に無いでしょう(ー_ー)!!
JR日豊本線都城駅です。
宮崎まではよく来ていたのですが都城は初めてきました。
思っていたよりも綺麗で小さな駅でしたわ。
 
さて、突然ですが、後ろの山は、桜島です。
 
滋賀から来ていたハーレーの方が
「ここまで来たら是非、知覧の特攻隊の記念館まで行くとよいですよ、感激しますヨ」
と、教えて下さいました。
 
観光バスの運転手さんも同じ事を言っておられました。
で、知覧に向けての道中の1コマです。
 
連休中なので桜島の噴火も小休止?
 
いやいや、この後、煙モクモクの噴火がありました(・・;)
もう鉄馬にまたがって走ってましたから写真は・・・・。
 
無事に到着。
 
道中に不思議な光景が。
 
何と追い抜いたバイクに再度追い抜かれた時に
和ぼんが
「俺のバイクと同じナンバーや!と叫ぶ」
 
何と、55-66の数字が(・_・;)
 
バイクで同じナンバーに出くわすのは足の小指を柱の角で打つより低い確率かと思います。
 
本人はこの後 ロト6を買ったのかは知りません。
 
一式戦闘機『隼』3型甲(キ43−V甲)
映画の撮影に製造されたレプリカですが
精巧に製作されていますので本物と見分けがつかない。と言っても僕は本物は知りませんけどぉ〜。
 
本物のゼロ戦です。
海に不時着したのを引き上げて展示してます。
 
室内では『写真撮影禁止!』なので外からガラス越しに撮りました。
 
その他 
陸軍四式戦闘機「疾風」(キー84甲)

 
陸軍三式戦闘機「飛燕」(キー61U改)

隊員の写真・遺書・絶筆
写 真・遺書・遺品等約4,500点が展示されている。立体ケースには「日の丸寄せ書」や遺書・絶筆・遺品等が展示されています。
 
特に、18歳の特攻隊員の自筆の遺書には感動します。
 
現代っ子は是非一度行ってみて自分を見直す事が良いかと思います。
 
3Kは嫌やとか、給料安いとか、休みが少ないとか
我がまま言っている自分が嫌になると思います。
 
当時、隊員が特攻命令下り、旅立つまでの間利用していた三角兵舎です。
 
むさ苦しい雑魚寝(失礼!)状態で過ごした兵舎。
 
死んで来い!!お国の為だ!と言って死ねるでしょうか???
 
当時の青少年は凄い。
 
またまた突然ですが
 
何故か秋芳洞。
 
鹿児島を出る時にホテルの予約を・・・・・・。
 
やはり無い!無い!無い!
 
何処もかしこもやはり満室。
 
熊本から始まり、久留米、鳥栖、博多、下関。
全て、毎度のお言葉を頂戴いたしました(怒)
 
結局、山口県小野田まで飛ばされ
鹿児島から小野田市までワープ。約、400キロの旅。
ホテルの従業員さん、「もう少し予約が遅ければお部屋満室でしたと」
やはり九州で予約の取れない方が流しに合いここまで来ているとか。
 
 
翌朝、ここまで来たからせめて秋芳洞を見学しませう。
 
35年ぶりに来ましたわ。
え〜と何だったっけ?
猿の腰掛?
 
あー忘れた!!!!
 
関ヶ原の鍾乳洞とはスケールが全然違います。
 
約、1.5キロ程あるのですが途中で挫折。
 
往復すれば3キロ!!
今の気分は歩く気力がほぼゼロに近い。口を動かす力は138.8%あります。
 
ここから滋賀までは550キロ以上あります。
どうせ、帰省ラッシュ渋滞もあるだろうし。
 
忍耐と寛容、根性と気力で一路滋賀に。
と思っていたのですが
 
何と、途中でもう1泊。
この時の意見のまとまる速さ!
で、
たどり着いたのが倉敷。
 
ビジネスイン倉敷さん。
 
何と、ここのホテルには無料の貸自転車が有りました。
良心的ですわ。
 
4気筒から2気筒+1鬼頭(判る人は判る)あさやんは1鬼頭増えましたが・・・。
市内観光?
 
乗り換えた途端元気元気。
 
2日夜から6日の店までの走行距離です。
 
1日平均500キロとなりました。
 
行く前にオイル交換、帰ってきて即オイル交換。
 
気ままなツーリングも無事に終え楽しい連休となりました。
 
知覧はもう一度行こうと思います。
全部見学するには1日近くかかりそうなので。
 
ある意味、戦時中に生まれてこなかったのが幸いか?
現在の若者社会人は、贅沢、我がまま、やりたい放題。
幸せだと思います。他人に厳しく、自分に優しい社会を見直そう!!